「DXからAXへ」の先にある、経営が定義すべきAIの役割
2026-03-04
「DXからAXへ」。Microsoftが主催する教育ITのカンファレンスで、この言葉が掲げられました。DX(デジタルトランスフォーメーション)の次に来るのはAIトランスフォーメーション(AX)だ、という主張です。市場でも「高度AI機能を搭載した業務自動化SaaS」や「カスタマイズ可能なBtoB受発注システム」など、AIやクラウドを駆使した新しいソリューションが続々と登場しています。
経営者や情シス部門にとっては、一見すると朗報でしょう。AIが業務を自動化し、SaaSを柔軟にカスタマイズできるなら、長年の課題だった効率化とデジタル化が一気に進むように思えます。しかし、ここにこそ、私たちが繰り返し指摘してきた「ITを経営が定義しないことの危険性」が、新しい形で潜んでいます。AIという強力なツールを前に、経営は再び「手段」に流され、「目的」を見失いかけているのではないでしょうか。
二つのニュースが示す、AI・SaaSの現在地
まず、素材となったニュースを整理しておきます。一つは、総合商社の兼松が提供を始めた「KG セカイカート」。BtoB向けのWeb受発注システムで、SaaSとして提供されながら、自社の業務フローに合わせたカスタマイズができるとされています。もう一つは、株式会社WhiteBoxがβ版を発表した「OmniSquare」。AIを搭載し、複雑な業務プロセスの自動化をうたうSaaSです。
表面的に読めば、「AIとカスタマイズ性によって、かつてない柔軟で強力な業務効率化が実現する」というストーリーが浮かびます。従来のパッケージソフトや開発ベンダー頼みのシステムに比べ、SaaSの敏捷性とAIの自律性が魅力的なのは確かです。しかし経営の視点で掘り下げると、別の風景が見えてきます。「手段の高度化が、かえって目的の曖昧さを覆い隠す」という、以前からある構造的な問題の再発です。
カスタマイズ可能なSaaSが生む新たな「サイロ」
「KG セカイカート」が強調する「カスタマイズ可能」という特徴には、とくに注意が必要です。自社の業務にぴったり合うシステムは、確かに理想です。しかし経営が問うべきは、「なぜその業務フローが存在するのか」という根本のほうです。非効率なルールや、部門間の調整不足から生まれた「手癖」のような業務プロセスを、SaaSのカスタマイズでそのまま固定してしまえば、DXの本質から大きく外れます。
これは、私たちが「目的関数の分裂」と呼ぶ状態を悪化させかねません。営業部門は「受注を楽に」、購買部門は「発注ミスを減らす」と、それぞれの部分最適な目的でツールをカスタマイズする。その結果、会社全体のデータの流れや意思決定の構造は置き去りにされ、デジタル化された新たなサイロ(縦割りシステム)が生まれるおそれがあります。SaaSは導入が簡単だからこそ、経営による統合の視点がないまま各部門が個別に導入し、会社のIT地図をいっそう複雑にする「SaaSスパゲッティ」現象を加速させかねないのです。
AI業務自動化の落とし穴:意思決定がブラックボックスになる
一方、「OmniSquare」に代表されるAI業務自動化ツールは、別の次元の課題を投げかけます。AIが複雑な判断を自律的にこなせば、劇的な効率化が期待できます。では経営者に問います。そのAIが「どのような基準で、なぜその判断を下しているのか」を、説明できるでしょうか。
たとえば、AIが購買発注のタイミングと数量を決めるとします。在庫データ、販売予測、仕入れ先の信頼性など、多くの要素を考慮するでしょう。しかし、その判断ロジックがブラックボックスだったらどうなるか。急な需要変動の際にAIが発注を抑え、その結果として機会損失が出ても、人間が原因を検証し、学ぶことは極めて難しくなります。これは、私たちが「経営IT」として重視する「意思決定の再現性」と真っ向からぶつかります。効率は上がっても、経営の判断プロセスがAIに委ねられ、見えなくなる。ITを「意思決定装置」として再定義するどころか、意思決定そのものを外に出し、見えなくしてしまう危険な一歩です。
「AX」の本質はAI導入ではなく、意思決定の再設計にある
では、「DXからAXへ」の移行を、経営資源として正しく定義するにはどうすればよいのでしょうか。鍵は、AIを単なる「業務効率化ツール」と見るのをやめることです。AX(AIトランスフォーメーション)の核心は、「AIの特性を活かした、新しい意思決定と業務のアーキテクチャ(構造)を設計する」ことにあるはずです。
新しいAIツールやカスタマイズ可能なSaaSを検討するとき、経営者は次の3点を自らに問いかける必要があります。
第一の問い:この導入は、どの「IT」を強化するのか
当メディアが提唱する3つのIT分類(事業IT、経営IT、管理IT)に照らしてみてください。
- 事業IT(成長・速度)の強化なら、AIによる顧客対応の高速化や、SaaSによる販路拡大が目的でしょう。投資対効果(ROI)は、売上増や顧客獲得単価の低下で測れるはずです。
- 経営IT(意思決定・再現性)の強化なら、AIによるデータ分析で経営判断の質を上げること、あるいはカスタマイズ可能なSaaSで全社のデータフローを可視化・統合することが目的です。ROIは意思決定のスピード向上やリスク低減で評価されます。
- 管理IT(安定・コスト)の強化なら、AIによる経理業務の自動化や、SaaSによる調達コスト管理が中心です。ROIは工数削減やコスト削減額にはっきり表れます。
この区別をせずに「とにかくAIで効率化を」と走れば、目的が混ざり合い、投資効果は測れなくなります。経営ITの視点を欠いたまま事業ITと管理ITのツールだけを導入すれば、データは散らばり、会社の全体像はかえって見えにくくなるでしょう。
第二の問い:AIに委ねる判断と、人間が手元に残す判断の線はどこか
これは経営の根幹に関わる判断です。AI業務自動化を導入するなら、必ず「判断ルールの設計図」を作ってください。どの条件のもとでAIが自律的に判断し、どんな例外や一定額以上の案件で人間の承認を求めるのか。この線引きにこそ、経営の意思が表れます。最も避けるべきは、ツールの機能に流されて「全部お任せ」になることです。それは経営の放棄に等しいからです。
第三の問い:このツールは「ITの分裂」を修復するのか、悪化させるのか
新しいSaaSを入れる前に、会社のIT地図、つまりどの部門がどのツールを使っているかを確認してください。新しいツールは、部門間のデータ連携を促し、ばらばらだった「目的関数」を束ねる方向に働くでしょうか。それとも既存のツールとつながらず、特定部門の便利ツールで終わって、分裂を深めるだけでしょうか。カスタマイズ性は、会社全体の統合に向けてこそ使われるべきです。
AX時代に経営者が踏み出すべき第一歩
理論だけでは前に進めません。具体的には何から始めればよいのでしょうか。
まずは「AI・SaaS評価フレーム」を簡単なチェックリストとして用意することをおすすめします。新しいツールの導入審査では、次の項目を関係部門と一緒に議論してください。
- 目的の明確化:このツールは3分類のうちどれを強化する? 期待するROIの測定方法は?
- 統合可能性:既存の基幹システムや他のSaaSと、どのようにデータを連携する? APIは提供されているか?
- 判断ルールの透明性(AIツールの場合):AIの判断基準をどの程度説明可能か? 人間のオーバーライドプロセスは?
- カスタマイズの範囲:カスタマイズは、部門ローカルルールの固定化か、全社業務フロー最適化のためか?
次に、小さな「経営IT統合プロジェクト」を立ち上げます。目指すのは、全社のデータが集まり、経営判断の拠りどころになる「唯一の真実の源」です。その第一歩として、今回のニュースのようなカスタマイズ可能なBtoB受発注システムを検討するなら、単なる受発注ツールではなく、「サプライチェーン全体の可視化と需給予測のプラットフォーム」として位置づけるのです。そのためには、営業、購買、生産、経営企画が共通の目的を持って導入に臨む必要があります。
結論:AXはツールのアップグレードではなく、経営のアップグレードである
「DXからAXへ」という言葉は、テクノロジーの進化を表しています。しかし経営者にとってのAXの本質は、AIという最新の道具を手に入れることではありません。かつて経営が定義を怠り、分裂させてしまったIT(情報と意思決定のシステム)を、AIの時代にふさわしい形で再定義し、統合することにあります。
カスタマイズ可能なSaaSは、部門のわがままをかなえる道具ではなく、全社最適の業務フローを組み上げるための「柔軟な建材」であるべきです。AI業務自動化は、人間の判断を肩代わりするブラックボックスではなく、経営の判断基準をより精緻にし、再現性を高める「思考の拡張装置」であるべきです。
新しいツールのニュースに踊らされる前に、一度立ち止まってください。そのツールは、自社の「ITの分裂」という古くて深い課題を解く光になるでしょうか。それとも、新しい道具で古い問題を取り繕い、将来へのしわ寄せを大きくするだけでしょうか。その見極めこそが、AI時代を勝ち抜く経営者にとって最初の、そして最も重要な判断なのです。