SaaS疲れが示す経営のIT定義不足

「DXってなんやねん」。営業職の「SaaS疲れ」が報じられ、便利さの裏で脳がすり減っていく現象が話題になっています。いくつものSaaSを使いこなせず、かえって仕事が進まなくなった。そんな現場の声が相次いでいます。

問題の本質は、ツールの使いすぎでもITリテラシーの不足でもありません。経営がITの目的を定義してこなかったという、構造的な欠陥です。SaaSが増えれば増えるほど、なぜ全体が見えなくなるのか。経営の視点で考えてみましょう。

SaaS疲れの正体は「目的関数の分裂」

SaaS疲れが起きる理由は単純です。各部門がばらばらにツールを入れ、それらが統合されていないからです。

営業部門がSalesforceを、マーケティング部門がHubSpotを、カスタマーサクセス部門がIntercomを導入する。どれも優秀なツールですが、連携が不十分だと、同じ顧客情報を複数のシステムに入力する二重作業が生まれます。

この状態を「目的関数の分裂」と呼びます。ITの目的が部門ごとに異なり、全体最適が図られないまま、ツールだけが増えていく。現場は「どのツールをいつ使うか」を絶えず判断しなければならず、そのたびに脳のリソースが削られていきます。

営業職の脳がすり減る仕組み

SaaS疲れの実態は、ツールの操作そのものよりも、「ツールを切り替えるコスト」にあります。アプリの切り替えは1日に何十回も起こりえます。そして、作業を中断されると元の集中を取り戻すまでに時間がかかることも、これまでの研究で指摘されています。

営業職の一日を思い浮かべてみてください。朝にSlackでチームの連絡を確認し、Salesforceで昨日の商談を更新し、Zoomで顧客と打ち合わせをして、その内容をNotionにまとめ、さらにFreeeで経費精算をする。これだけで5〜6回のツールの切り替えが発生します。

これが「脳がすり減る」正体です。悪いのはツールそのものではありません。ツールとツールのあいだの断絶が、現場の認知負荷を押し上げているのです。

経営がITを定義しなかった代償

SaaS疲れの根本原因は、経営がITの全体設計を放棄してきたことにあります。「便利そうだから」「他社も入れているから」という理由でツールを導入し、統合の設計を後回しにしてきた。その結果が、いまの状況です。

経営が定義すべきは、次の3点です。

  • ITの目的は何か(売上拡大か、業務効率化か、リスク管理か)
  • どのデータを一元管理するか(顧客データ、在庫データ、財務データ)
  • ツールを選ぶ判断基準は何か(コスト優先か、連携性優先か、機能優先か)

これらを決めずに導入を現場任せにすれば、部門ごとに最適化されたツールが乱立します。そして「ツールは増えたのに、仕事は減らない」というSaaS疲れが生まれるのです。

ITを3つに分類して整理する

SaaS疲れを解消する第一歩は、自社のITを3つに分類し、それぞれの目的をはっきりさせることです。

事業ITは、売上に直結するツールです。CRMやMAツールがこれにあたり、スピードを重視して導入し、営業現場の声を優先します。

経営ITは、経営判断のためのツールです。BIツールや経営ダッシュボードがこれにあたり、データの一元管理と統合性を重視します。

管理ITは、安定運用のためのツールです。会計ソフトや勤怠管理がこれにあたり、コスト管理とセキュリティを重視します。

この分類に沿って、いま使っているSaaSを棚卸しします。同じ分類の中でツールが重複していないか、互いに連携が取れているかを確かめます。

SaaS疲れを防ぐために経営がすべきこと

では、経営は具体的に何をすべきでしょうか。まずは「SaaS整理日」を設け、全社のSaaS契約を一覧にします。無駄なライセンスや重複した機能がないかを確認します。

次に、統合プラットフォームを検討します。多くのSaaSはAPIで連携できますが、連携の設計には専門知識が必要です。情シスがいない場合は、外部のITコンサルタントに頼むのも一つの手です。

SaaS整理の進め方の例

たとえば、複数のSaaSが乱立し、営業は独自のExcel管理、経理は会計ソフト、製造管理は別システムと、データがばらばらになっている会社を考えてみます。

まず全SaaSを棚卸しし、重複した機能を整理します。そのうえでGoogle Workspaceなどを統合基盤の中心に据え、各SaaSを連携させます。そうすれば、月々のSaaSコストを抑えながら、営業職の「ツール切り替え回数」も減らせます。

SaaS疲れは経営課題である

SaaS疲れは、現場のITリテラシーの問題ではありません。経営がITを定義してこなかったことによる、構造の問題です。ツールを増やす前に、なぜそのツールが必要なのか、どのデータを統合すべきかを、経営が判断しなければなりません。

便利さを追い求めることだけがDXではありません。現場の脳の疲れを減らし、本質的な仕事に集中できる環境を整えることこそ、本当のDXといえるでしょう。経営者の皆さん、自社のSaaS環境を見直す第一歩を、今日から踏み出してみませんか。